香川大学 農学部進化生態学
准教授 安井 行雄
2018/11/9 掲載
受賞の概要
このたび第9回日本動物行動学会賞を受賞し、2018年9月29日に京都大学理学部で行われた授賞式および受賞講演で表彰を受けました。本賞は、(1)動物の行動に関する新たな現象の発見、(2)動物の行動に関する新たな理論の構築あるいは既存の理論の発展、および(3)動物の行動を研究する新たな方法の開発あるいは既存の方法の改良、の各区分において特筆すべき研究成果を挙げた日本動物行動学会員に授与される賞です。私の受賞は区分(2)に該当しタイトルは「雌の多回交尾の進化に関するbet-hedging理論の死と復活」です。日本の学会賞の多くはそれまでの個人の研究業績全体を評価するものですが、本賞は「過去5年以内に公表された3編までの学術論文によって構成される1つのまとまった仕事」について審査され、ベテランと若手研究者が同じ土俵で戦うという趣旨(過去の研究歴や学会への貢献度などは考慮されない)になっています。最近の研究成果で評価され、優秀で活発な若手研究者たちを抑えての受賞には「まだまだやれるぞ」と誇らしいものがあります。進化生態学長年の謎である雌の多回交尾(つまり浮気)の進化について普遍的説明を与えたことに歴史的意義があります。
授賞式にて。右は中嶋康裕日本動物行動学会会長。(2018.9.29)
研究の背景
雄は小型で栄養を含まない配偶子(精子)を生産し、雌は大型で栄養に富んだ配偶子(卵)を生産します。配偶子に投資する資源量が雌雄間で等しいならば、(パイを小さく切り分けるのと同様に)精子は卵よりもはるかに多数生産できます。したがって雄は精子がありあまっており、もし可能であれば多くの雌と交尾するほど子孫の数(適応度)を増やすことができます。これが雄間で雌の獲得をめぐる競争が生じ、性淘汰が強く働く要因です。一方雌は(パイを大きく切り分けるのと同様に)卵を少数しか生産できないため、複数の雄と交尾をしても(子供の父親が入れ替わるだけで)子孫を増やすことはできません。したがって雌にとっては子の生存率をできるだけ高くすることが適応度を上げることに繋がります。そのためには質の高い雄を慎重に選んで交尾し、限られた数の子供を保護することが重要です。その上、交尾に伴う時間とエネルギーのロス、交尾中に捕食される危険、相手から寄生虫や病原体を移される危険など、交尾には様々なコストが伴うと考えられます。雄においては相対的に交尾の利益がコストを上回るため多回交尾(浮気)傾向が進化するのに対して、雌においてはコストが比較的高いため一回交尾(貞淑)傾向が進化すると予測されます(Bateman 1948)。しかしながらこの理論的予測(Bateman’s principle)に反して、多くの動物の雌は一繁殖期に複数の雄と交尾しています。雌が多回交尾(polyandry:鳥類ではつがい外交尾Extra-Pair Copulation: EPCとして知られます)をする進化的理由について、ダーウィン以来実に多くの研究者がさまざまな仮説を提唱し検証を行ってきました。直接的(物質的)利益、間接的(遺伝的)利益などに基づく適応的仮説、性的対立(雄による強制)や雌雄の遺伝相関に着目した非適応的仮説など多岐にわたるものが提唱されてきましたが、その多くは研究対象の種の特性に基づいたケースバイケースの説明にとどまっています。しかし雌の多回交尾は異形配偶子生殖(anisogamy、すなわち雄と雌の分化)を行うほとんどの生物にみられる普遍的な現象であり、それゆえ普遍的な説明が必要です。
研究の成果
雌の多回交尾は雌による配偶者選択(female mate choice)の一形態です。そして多回交尾問題とは根源的には配偶者の質に関する情報が雌にとって不確かであることに起因します。もし雌が眼前の雄が自分の生涯で最良のパートナーであると「知っている」なら、その雄1匹とだけ交尾すればよいからです。現実にはそうはいかないから他の雄を求めることになります。雌が1匹の雄だけと交尾した場合、その雄が不妊(正常な精子を送れない)であったり、雌の遺伝子と不和合であったり、遺伝的な質が低かったり、さらにはその雄の遺伝子が次世代に有利になるものであるかわからない(環境が変動するから)という不確実性は常に存在しています。このような場合、複数の雄と交尾することで、子供たちのなかで誰かが死んでも誰かは生き残るという危険分散を行うことができるかもしれません(両賭け、bet-hedgingといいます)。bet-hedgingとはもともと株式の用語で複数の銘柄への分散投資(portfolio)のことです。株価変動が予測できない場合、単一銘柄への集中投資は暴落の危険がありますが複数銘柄を買っておけば全てが同時に下落する確率は低くなります(同時株安が起こる恐慌は別として)。
?
私は以前、多回交尾によるbet-hedgingが有効に機能するには個体群サイズが極端に小さいことが必要であると指摘しました(Yasui 1998、Yasui 2001)。原理的に多回交尾bet-hedgingはサンプル数が小さい時には偶然によって当たり外れのばらつきが大きくなること(人口学的確率性demographic stochasticity)に依存しています。すなわち1回しかくじを引かない一回交尾雌よりも複数回くじを引く多回交尾雌のほうが適応度のばらつきが小さく、世代を超えての絶滅確率が小さくなることが期待されます。そして雌の個体数が少ない(20匹未満の小個体群)ときにはたまたま全ての雌がハズレくじを引き絶滅することが起こり得ます。しかし通常の生物では集団中に20匹以上の雌がいるのでこのメカニズムは成り立たないと考え前述の指摘となったのですが、この論文の影響は大きくその後約10年この仮説は無効であると見なされ、世界の研究者たちの関心は性的対立説へと向かって行きました(多回交尾bet-hedgingの死)。
? ?
しかしながら単一の小集団を考えるのは非現実的であるとしてもメタ個体群構造を考えることでこの制約は打破可能です。集団がサブ集団の集合で構成されていて、サブ集団は少数の個体を含んでおり、そのなかで増殖した個体が他のサブ集団に移住(遺伝子流動)したり、サブ集団単位で絶滅したりします。多回交尾はこのサブ集団の中では絶滅回避の点で有利なので一回交尾に打ち勝ち、移住を通じて個体群全体に拡散するというわけです。Yasui and Garcia-Gonzalez(2016)はこの新たな視点から理論を展開し、集団がメタ個体群構造を持ち、かつ集団中に結果的に完全な繁殖の失敗(適応度の低下ではなく0、すなわち子孫の全滅)をもたらす雄(ハズレ雄)が一定以上含まれていればbet-hedgingは極めて強力な進化要因になり得ることを示しました。また文字通りのメタ個体群でなくても、雌にとって配偶者選択の機会が限られていて、集団全体ではたくさんの雄がいても実際の花婿候補はそのなかのほんの2、3匹という状況(大都会の孤独)ならbet-hedgingは有効です。完全な繁殖失敗という条件については、子供ができなくて悩む夫婦が多いのと同様、1回の交尾が繁殖に繋がる確率は意外に低いのです(すなわち交尾成功≠繁殖成功です)。8目30種の昆虫の自然個体群に関するメタ分析において、交尾の約22%(範囲0~63%)はハズレだという統計があります(Garcia-Gonzalez 2004)。Yasui and Garcia-Gonzalez (2016)ではこの22%のハズレ交尾頻度を採用し、メタ個体群のなかで多回交尾は約15~25%のコスト(一回交尾より産仔数が減少)を相殺して進化できることをコンピュータシミュレーションによって示しました。またYasui and Yoshimura (2018)では鳥のEPCの進化に焦点を当てて解析的数理モデルを展開し、この「約20%のハズレ交尾」条件を採用したとき多回交尾戦略の世代間幾何平均適応度が1回交尾にくらべて最も高くなる(家系の絶滅確率が最小となる)ことを示しました。独立に作られたシミュレーションモデルと解析モデルが同じ結論を導いたことはこの理論の信頼性が極めて高いことを示唆します。
? ?
両賭けによる絶滅回避は無差別に多回交尾するだけで自動的に機能するので、これまで繰り返されてきたケースバイケースの説明よりも一般性が高い(Yasui and Yoshimura 2018)、すなわちbet-hedgingは多回交尾の基盤的利益であり、もし他のメカニズム(物質的利益など)が働くならその上に加算される、普遍的な説明であると言えます(多回交尾bet-hedgingの復活)。
?
出版の順序は理論のほうが後になりましたがGarcia-Gonzalez, Yasui and Evans (2015)はこの多回交尾bet-hedging仮説をウニの実験系を用いて検証したものです。実証研究において多回交尾と1回交尾の適応度を比較するとき、異なる雌個体を両実験区に割り当てるのが一般的です。そのため適応度に差が生じても処理の効果なのか雌の個体差なのか分離することは困難です(統計的に推定するのみ)。この実験では体外受精のウニを用いて同じ雌個体から人工的に放卵させた卵群を1雄による受精区と多雄による受精区に分け、あたかも同じ雌個体が1回交尾と多回交尾の2通りの生涯を送った結果を(個体内で)比較しました。さらに受精卵を異なる胚発生環境(pH)に配置して、それを仮想的に複数世代と見なし、世代間で変動する環境のなかで1回交尾戦略と多回交尾戦略の世代間幾何平均適応度を比較しています。結果はかなり複雑でしたが多回交尾の優位をあらわす適応度成分が検出されています。???
進化生態学長年の謎である雌の多回交尾(含:鳥のつがい外交尾)の進化に、紆余曲折を経ながらも普遍的説明を提出できたことは日本の動物行動学が世界に誇る業績であると確信します。
? ? ? ? ? ? ? ウニの実験風景、Garcia-Gonzalez博士と、
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?西オーストラリア大学にて(2010/5/19)
研究の魅力
雌の多回交尾の研究には単に動物の適応戦略にとどまらない魅力があります。「雄は無差別に交尾したがり、雌は控えめで子育てに励む、しかし子供が増えるわけでないのに浮気もする」というのは我々人間にもみられる傾向だからです。したがってこの性質は文化や宗教、教育などによって後天的に植え付けられたものではなく、ヒトが人間になる以前の「動物」だった時代、おそらくは多細胞生物が生じ異形配偶子生殖が始まった段階ですでに進化していたものでしょう。我々は皆それを受け継いでいます。雌の多回交尾が進化生態学の最重要テーマとして世界の研究者を魅了し続けてきたのは、そこに人間性の起源が暗示されているからにほかなりません。
しかしながらこの研究を人間の女性の浮気と短絡的に結び付けることには注意が必要です。「夫が不妊であれば妻は子を産むためには他の男を必要とする」のは自明ですが、人間の行動はこの理論が想定しているような、遺伝子の指令によって突き動かされ無意識に発現するといったものではなく個人的な経験や感情に裏打ちされた意識的なものだからです。人間の場合は「そういう本能的な衝動も根源的に存在するが、だからといってそれに従うことが社会的に正当化されるわけではない」ことを肝に銘じる必要があるでしょう(男の浮気も同様です)。現代の文明社会では「自然の摂理」よりも人権が優先されます。
研究を始めたきっかけ
1964年大阪に生まれ、昆虫少年として成長し、1983年昆虫学研究室のある京都府立大学農学部に入学しました。蝶の生態研究がしたかったのですが実験室でより精密な研究ができるダニの配偶行動を研究テーマに選びました。1993年北海道大学農学研究科で博士号を得るまでダニの配偶行動と精子競争に関する先駆的な研究を行いました。昆虫ではすでに明らかにされつつあった精子競争という現象を、進化生態学的視点(適応戦略)からダニ類で研究したのは世界最初だったと思います(Yasui 1988)。そのまま同じ研究手法を用いて対象種を替えていけばいくらでも業績になったと思いますが、ダニの交尾行動の専門家になるつもりはありませんでした。分類群を超えてもっと普遍的な議論ができる雌の多回交尾に関する理論的研究へと関心は移っていきました。
蝶類の野外生息調査。山上にミヤマカラスアゲハを追う(2009.5.1)
特に「欧米の権威者が立てた仮説を他の日本人に先駆けて輸入して検証する」のではなく「こちらで理路整然たる魅力的な仮説を提唱して欧米人に検証させたい」という野心を抱きました。そしてそれは実現します。1997年に発表したGood Sperm仮説(Yasui 1997)は、「雌が多回交尾をすると精子競争が起き、優れた遺伝子を持つ雄が競争に勝つ、それゆえ雌は多回交尾を通じて遺伝的に優れた子を産むことができる」というもので、世界中で検証実験が行われています。さらに「雌の多回交尾の遺伝的利益再考」(Yasui 1998)、bet-hedging polyandryの理論的問題点の指摘(Yasui 2001)など国際的に広く認知される研究を行ってきました。Yasui (1997, 1998, 2001)の引用件数は600 件を超え、これらは雌の多回交尾進化の基本理論として国際的に定着しています。2000年3月にはこれらの研究により第4回日本生態学会宮地賞を受賞しました。このとき「死」を宣告した多回交尾=bet-hedging理論を「復活」させ今回の日本動物行動学会賞につなげられたことは、科学は試行錯誤によって発展するがそれを自分ひとりで体現した感慨深いものがあります。
この研究の将来的な展望
この研究の主要な結論は「交尾相手の選択肢が限られていて、交尾の2割は結果的に繁殖成功につながらない」が雌の多回交尾の基本的な進化条件であるということです。これは普通にありうる状況で、だから雌の多回交尾は普通に起こるのです。雌は一雄との交尾で十分という確信を常に持てないために保険として多回交尾をするのです。どの相手にも確信が持てないのは同じですが、繰り返しくじを引けば「全てハズレ」の確率は指数的に低くなります。実証研究において交尾させた雌が全く産卵しなかったり全ての卵が未孵化だったりした場合、そのサンプルは実験失敗として分析から除外されることが多いです。したがってハズレ交尾?繁殖失敗は過小評価されており、その頻度を正しく評価することがこの仮説を検証するために必要でしょう。男性不妊の起源や進化生物学的な意味づけを理解することはそれに対する医学的対策につながるかもしれません。また有害遺伝子の蓄積した小集団で絶滅危惧にある希少種の保全?繁殖などの応用的展開にもつながるでしょう。
今、お読みの本を教えてください
リン?マーグリス&ドリオン?セーガンの「性の起源 遺伝子と共生ゲームの30億年」を古本を買って読んでいます。少し古いが奥深い考察がある。
趣味
世界の昆虫標本の収集。クラシック音楽鑑賞(バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ブルックナー:論文執筆の参考になる論理思考を鍛えられるシンプルで深いものが好き)。ワイン(高いものには手が出ませんが)。
発表論文
Garcia-Gonzalez, F., Yasui, Y. and Evans, J. P. 2015. Mating portfolios: bet-hedging, sexual selection
? ? ? and female multiple mating. Proceedings of the Royal Society B. Biological Sciences.vol.282
http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/282/1798/20141525
Yasui, Y. 1988. Sperm Competition of Macrocheles muscaedomesticae (Scopoli) (Acarina:
? ? ? Mesostigmata: Macrochelidae), with Special Reference to Precopulatory Mate Guarding
? ? ? Behavior.?Journal of Ethology 6: 83-90.
https://link.springer.com/article/10.1007/BF02350872
Yasui, Y. 1997. A “good-sperm” model can explain the evolution of costly multiple mating by
? ? ? females. American Naturalist 149:573-584.
? ? ??https://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/286006
Yasui, Y. 1998. The ‘genetic benefits’ of female multiple mating reconsidered. Trends in Ecology
? ? ? and Evolution 13:246-250.
? ? ??https://www.cell.com/trends/ecology-evolution/fulltext/S0169-5347(98)01383-4
Yasui, Y. 2001. Female multiple mating as a genetic bet-hedging strategy when mate choice criteria
? ? ? are unreliable. Ecological Research 16:605-616.
? ? ??https://link.springer.com/article/10.1046/j.1440-1703.2001.00423.x
Yasui, Y. and Garcia-Gonzalez, F. 2016. Bet-hedging as a mechanism for the evolution of polyandry,
? ? ? revisited. Evolution 70: 385-397.
? ? ??http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/evo.12847/abstract
Yasui, Y. and Yoshimura, J. 2018. Bet-hedging against male-caused reproductive failures may
? ? ? explain ubiquitous cuckoldry in female birds. Journal of Theoretical Biology 437: 214-221.
? ? ??https://doi.org/10.1016/j.jtbi.2017.10.029
引用文献
Bateman, A.J. 1948. Intrasexual selection in Drosophila. Heredity 2:349-368.
Garcia-Gonzalez, F., 2004. Infertile matings and sperm competition: the effect of "Nonsperm
? ? ? ?Representation" on intraspecific variation in sperm precedence patterns.?American Naturalist
? ? ? ?164:?457-472. DOI: 10.1086/423987